アクシデント
一ヶ月ほど前に階段から転落して捻挫と打撲を負った。その場から痛くはあったけれど、すぐに立ち上がれた。右の足首より少し上の辺たりは血はそれほど出ていないが、皮膚が削ぎめくれていた。ここまで読むと「ウワァー」と思われるかもしれないが、本人は昔からよくこける体質?だったので、免疫が出来ていた。そのまま休みの日だったので薬局まで歩いて行った。休み明けに病院へレントゲンを撮って骨の状態をチェック。ひびも折れもしていなかった。もっとも、そうなっていたら歩けは出来なかっただろうけれど。
湿布を大量に処方され一日二回張替えた。左の足はそうでもないが右の足の皮膚が捲れてしまった方は打撲の後遺症というのか腫れがなかなか引かない。いまでも押したら鈍痛がある。前は感覚がなかったから治りかけているのだろうと思う。両手がふさがっていて、ヒールのつっかけ、足にまとわりつく柔らかい素材のパンツ、すべて条件は揃っていた。事故はなるべくして起こる。右の手のひらは身体を支えたので痣になったが、指は正常に動き、手を動かす職業なので不幸中の幸い。これが駅とかの公共の場で転んでいたら、私一人の怪我ではすまなくなる。団地の階段でひとり転がったからそれも幸いしたと思っている。
風邪ひき
風邪を最近ひきました。かかって一週間目。最初は鼻水と喉が痛く熱はありませんでした。熱がないので病院へ行くとインフルエンザではないと診察されました。やれやれ。それでも看護婦さんが私の耳で熱を測って「35.8℃」とはなんか、低いような気がして、わたしの平熱は36℃ないんだ、と意外に思ったことです。
熱はありませんでしたが、頭痛と食欲減退。先にかかったひとから「しょうがとれんこんの味噌汁が効く」とのご助言。鳥の足とにんにくとしょうがとねぎでスープにし、それも結構効いたようです。やはり薬より医食同源。日頃の不摂生は若いときはどうってことないけれど、昔の杵柄は忘れて現実を素直に受け入れておとなしくしているのが完治する早道のよう。今日は晴れて相変わらず寒いですが、なんとなく春の兆しが感じられます。
空気感染ですからかかったひとはマスクは必携ですね。ある病院で院内感染になった時に隔離病棟を設け、どの科目の患者さんもかかったらその病棟に移しましたら、防げたそうです。クシャミの飛沫は9時間も空気中にただよっているそうです。なので部屋の換気も怠らずに。口腔を清潔にしますと感染力は十分の一に激減するそうですよ。
自問
最近、人間関係で悩むことがあった。これも更年期障害の一括りですまされる問題か。。。そこで日ごろ親交の厚い師に相談をしてみた。
「よく聞かれるのですよ。私は何もした覚えがないのに人の態度がよそよそしく感じるって。」
「例えばですよ、咳をするようになった。病院で診察してもらったが、どこも悪くない。病気ではない。それは重症ということでしょ? 病巣が深いということですよ。」
「そういう時は感謝が足らない。相手にばかり自分を観てしまうからです。反省すればすぐ分かることです。相手ではなく自分の問題なんですよ。」
「対象は自分の問いかけの分だけ答えてくれるのですよ。気を利かすような親切なことはしません。」
う~ん。何事も何か意味があって必然と起こる。実体のない現象に惑わされて悩むことはないのだろう。その必然もやらしていただいているのだろうから。それでも自我意識とやらは自分の中で居座っている。結構、ひつこいぞ。
足湯
最近、体調が良くないので、素人考えでいろいろ考えてみた。
食欲 → 有
睡眠 → 最近は眠れる
PC → 8時間以上は向き合ってる
運動 → 散歩は多くて2時間くらいかな
ストレス → ある・ある
どうやら、肩凝りから首筋の凝りにきているようなので、整体の先生に聞いてみた。
足湯、ふくらはぎから下を40℃くらいのお湯につかって15分くらい。肩と腕、首をゆっくり回してみるといいとか。
昨日から始めたが、効き目があるかどうか、また、ご報告します。
柳は緑・花は紅
私は以前「色んな考え方があって当然」と思っていた。だが、それは違っていたようだ。物事の捉え方が、その人の因縁や教育や環境によって違って来る、ということだ。句会で俳句を捻っているが、同じ花を見ても同じ句にはならない。個々の経験知識から今の心の状態がそのように映るからだろう。
禅に「柳は緑・花は紅」という言葉がある。柳の葉は緑色で、花は赤く咲いている、という意味だけではない。春の新緑の柳の葉を見た瞬間に人の心に映じる鮮やかな仄々とした緑の色彩、真っ赤な蘭の花が開いた時の息が止まるかと思われる鮮やかさ、その感じを物事の実相に喩えた。花を美しいと感じた瞬間に自我はない。花と一つになれる。
物事や現象が如何に複雑に見えようとも、それを観察する人々の考えが十人十色であっても、その実相(実際の内容)は唯一つだ・・・ということ。その目で見れば、迷走する世の中の出来事の真実はただ一つである。



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